コンピューターゲームでBGMを流すという発想は、誰が思いついて、いつ頃定着したのですか?
今日、コンピューターゲームではBGMが流れるのが当たり前です。
一部のコンピューターゲームでは、演出としてあえてBGMを流さずSE(効果音)だけしか鳴らさないものもありますが…。
でもこれは、他のあらゆるゲームと比較して、コンピューターゲームの非常に特異な点ですよね。
例えば、将棋や囲碁やチェス、すごろくや百人一首やカルタ、トランプやUNOでは当然ながらBGMは流れません。まぁ百人一首は句の読み上げがBGMに聞こえなくもないですけど。
これらのゲームは、媒体が紙や木や石ですが、そういう考えでコンピューターゲームを捉えると、媒体は単なる電子機器じゃん…というふうになります。
では何故その“単なる電子機器”で、BGMを流そうという発想が表れてきたのでしょうか。
ちなみに私は、ファミコンの8bit音源の曲から、東方Projectの原曲まで、ゲームBGMに愛着を持っている人間です。
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コンピューターゲームでBGMを流すという発想は、誰が思いついて、いつ頃定着したのですか?
任天堂だとおもいます。
昔任天堂は花札とかあつかっていましたし。そこから変化をねらったのだとおおもいますよ。
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