2012年2月25日土曜日

コンピューター将棋がプロに勝つことに果たして意味があるのか?

コンピューター将棋がプロに勝つことに果たして意味があるのか?

一昔前は、コンピューターと人間の対決なんてわくわくしていたものです。



しかし今はハードの性能が予想以上に進化し、ソフト云々よりも、全幅探査、いわゆるしらみつぶし計算法が有効と分かり、

「あから」では169台のコンピューター屈指して行われました。



こんな風に、単純に際限なく処理能力を上げていけばいつかはプロを上回るのではないですか。

場合によっては、PC一千台でもいい訳です。



そこに人々が感動する要素があるのだろうか?

人工知能の発展云々...があるのだろうか?(ハードの性能は評価出来ますが)



多くのプロ棋士もいつかはプロを越えるだろう、と認めています。



私も将棋ファンとして羽生名人が負けるところなんて見たくないです。



こんな当たり前の道理で、名人に「勝った勝った」と騒がれるのもどうかなぁ、と思うのですが、

将棋ファンの皆さんはどうお考えですか?


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自分は、数学をやっています。

将棋の数学は専門じゃありませんが。これが結構難しいです。



人が「手を作る」とか「手になっている」とか考えるのは直感ですが、それを数式化するのが計算機将棋です。

どのように状況を評価するのか?

人は直感でこまの働きとか囲いの硬さとか計算するわけですが、それを論理で定式化しないといけません。

(そのために、過去の棋譜とか製作者もそれなりに勉強しているらしいです。)

ですから、ハードだけではなくてソフトもかなり性能を上げないといけないらしいですよ。



計算機がプロに勝つのは無意味でしょう。でも、そんなこといったら、そもそも勝負事に意味なんてありませんから、名人が竜王に勝つor負けるだって大した意味はありません。



プロのすごいことは何か?

計算機のほうは大勢の研究者と多数のハードを使って作り上げてますが、それに1人で対抗しているという点で圧倒的にプロはすごいと思います。

そして、新たなものを発見することは計算機には到底無理ですね。。。

(でも私は数学もやっている人間なので計算機のほうもがんばってもらいたいとは思います。)



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新聞社がタイトル戦の契約金を値切る口実になる。ま、下世話な見方だし、竜王戦などは賞金額の多さがアピールポイントの一つではあるので、すぐにどうこうということはないでしょうが、数万円の家庭用ゲーム機と数千円のソフトにもトッププロが勝てないなんて時代がきたら、けっこうやばいかも。



ちなみにチェスの場合。世界チャンピオンだったカスパロフがディープブルーに負けたのが1997年。あれから14年もたったし人間ではもう歯がたたないかと思ったら、いまでも勝ったり負けたり引き分けたりと、いい勝負をしてるみたいです。チャンピオンに勝ったのを一つの区切りとしてその後コンピュータ側が進歩していないのか、人間側がコンピュータ対策を頑張っているのか、よくはわかりませんが、なにはともあれめでたい。


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コンピュータも人間を幸福にするための道具だと思います。



行きすぎると、原爆や原子力発電所のようになると考えます。



将棋・囲碁は、人間同士の楽しみであり、格好のコミュニケー

ションですから、ネットの対戦も大嫌いです。



相手があっての手段ですから、いくら強くなってもコンピュータと

は対戦したくありません。


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大きな意味がありますよ。

将棋のプロトップの神話が崩れます。

人間が月に行って、月に関する夢が壊れたようなものですけどね。

将棋の先生の代わりという意味では、とうの昔にプロの仕事を侵食しています。


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意味はありますよ。プロに勝つことは、開発者にとっての悲願であり復讐劇ですから。少なくとも開発に関わったことのある人々が感動する要素はあります。

初期の開発者たちは、技術的にはかなり凄いことをやっていたにも関わらず「人間に比べて格段に弱い(結果が出ていない)」という理由でクソゲー作者の烙印を押され、煮え湯を飲まされ続けてきました。しかし現在、やっと「いつかはプロを越えるだろう」「当たり前の道理」と思わせるところまできています。過去に馬鹿にした人々を見返すには、後はとにかくプロに勝つという「結果」が欲しいのです。



ちなみに人工知能の発展云々...ですが、これは「プロに勝つ」とは別ベクトルでちゃんと進行しています。マシンスペックに頼ってばかりで開発者の工夫(研究)が止まっている、というわけではないですから。現在の手法は「プロに勝つ」には有力かもしれませんが、その先の世界では通用しない手法かもしれません。最後の一手まで読むという段階でない限りは、現在の手法は「不確定な状況下での判断方法」として一番良い方法だという確証はないです。単純に際限なく処理能力を上げても最善手の発見率がある値で停滞してしまう可能性も高いです。それなら、開発者はもっと良い方法を求めます。マシンスペックに頼らない軽量化だって求めるでしょう。人工知能の発展云々...の立場から見た場合、プロとの対局など所詮は通過点にすぎません。上記判断方法として現在の手法がどの程度優秀かを測るため基準になる程度だと思うのです。


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「名人に勝った、勝った」って騒ぐのは将棋ファン以外の人だけでしょう。処理能力がどんどん上がって行けば、どんな強いプロでも勝てなくなると思います。「将棋の名人なんて大したことないじゃん」と思う人は思うでしょう。だからと言って、プロ棋士の存在意義が無くなることは無いと思います。僕個人としても羽生さんがコンピュータに「負けました。」と言うシーンは見たくないですね。

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