将棋ソフトが強くなって
プロ棋士を馬鹿にするような人が増えてますがどうなんでしょうか?
それはもはや特定の釣り屋だけではありません。プロ威厳などなりなりはしませんか?
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計算そのものがコンピュータより速い人間なんて
世界中どこを探したっていません。
ありとあらゆる仕事で
コンピュータより優秀というか
人間として付加価値をつけていないと
仕事をしているとは言えません。
年齢がばれてしまいますが、
私が会社に入社した頃は、まだコピーはそれほどなくて
青焼きでした。ドキュメントも普通は手書きでした。
コンピュータも大型計算機に接続して
TSS(Time Sharing System)
で利用していました。
ワープロを会社で使ったのは入社2年目くらいです。
個人にWindowsのパソコンがほぼ職場全員に配布されたのが
1995年頃だったと記憶しています。
(OSはWin95ではなくて、Win3.1でした)
今や、コンピュータを使いこなすのは当たりまえで
何らかの付加価値を付けないと仕事はできません。
派遣社員でもEXCELのマクロ(Visual Basic)
のプログラミングをしてコンピュータを使いこなしています。
自分はF検定、分散分析などの統計処理や
解析等のために、必要性があれば
文字列関数、データベース関数等いろいろ勉強して
利用したりしています。
論理式による複数のデータベースの突合せ等もしています。
その上でデータマイニングをしています。
将棋のプロに関しては
今の時点でもコンピュータより強いだけでも
本当はとんでもない人たちと私は思っています。
詰将棋等は純粋に計算問題ですから
1996年頃に人間を抜かしています。
コンピュータは2年で2倍の速さで進歩していても
それから12年まだ持っているということは
人間の判断力やその他の能力
がいかに大事かということを証明している
と個人的には思っています。
プロ棋士を馬鹿にするような人は
コンピュータも使えない
産業用ロボット以下の仕事もできない
どうしようもない無能な人が
自分達と同じレベルに落ちる(と思いこんで)
面白がっているだけです。
コンピュータに使われないで
ツールとして利用するには
数学的能力
論理的能力が必要です。
プロ棋士はそのような能力は皆高いです。
ソフトが強くなって、そのうち
プロを廃業しないといけない人がでる可能性は
ありますが、なんとか食って行けると思います。
実際、英会話教室経営など副業を
もって備えている人もいますし…
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ところであなた誰?誇大なハンドルと空虚な内容・・・・・似すぎw
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コンピューターがただ単に計算が得意なだけであって将棋がコンピューターの得意分野なだけです。
今現在僕自身がコンピューターに勝てませんが将棋を楽しんでいます。
ただ一つ言えるのが、日本人の傾向が能力のある人を今まで負けてきた人間が批判したがっている傾向にあるということです
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(なりなり?って無くなりだよね・・・)
無くなりはしないでしょうね。
陸上選手よりも、車のほうが速く走るし、
重量挙げの選手よりも、サポーツスーツを着た人のほうが重いものを軽々と持ち上げますしね。
別に威厳なくなっても、大したことではない気もしますが・・・
(別に将棋やるけどそんなに威厳感じてませんし。個人的なものなのか、俗に言う最近の若いものの感覚なのかはよく分かりませんが。)
まぁ、プログラミングとはどういうものか理解もしていないで、揶揄しているお馬鹿チャンは目に余るものがありますが・・・
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一般の方々には判りにくい事なので仕方ないのかも知れませんが、コンピューターソフトの在り方というのを勘違いしている方が多い様な気がしてなりません。
コンピューターが強くなる事で 何故 人間の威厳が損なわれなければいけないのでしょうか?
そもそもが、コンピューターというものはソフト、ハードを含め、人間の利便性を求めて開発、利用されているものの筈であり、思考(アルゴリズム)そのものは人間が組んでいます。利便性の向上に喜ぶ事はあっても、それが人間の威厳に影響される筈など無いと私は思っています。
例えばですが、電卓が普及したからと言って そろばんや暗算の価値が下がりましたか?基本の考え方を人間が持っていない以上、計算機が使いこなせない様に、昔から人間が行ってきたアナログレベルのものの価値は下がっていない筈です。
また、将棋ソフトやチェスソフト等は人工知能の開発の一環として、以下に人間の思考に近づける事が出来るか、という可能性を求めて開発されてきているという歴史があります。決してプロの存在をないがしろにする為ではありません。
将棋には勝敗だけではなく、対局を通じての人間同士(対局者同士)の思考の読み合ったり、お互いの主張をぶつけ合ったりする、というのが最大の魅力です。相手の気持ち、思考を読む(読もうとする)事がゲームを通じて養わる事で 人間性を成長をも促します。(これは囲碁も同様です) また、あらゆる勝負事の中で唯一 自分で負けを認めて宣言しなければならないゲームです。(この部分に関しては囲碁よりも明確です)
全てが計算で成り立っている将棋ソフトが例え人間を上回ったとしても、これらの魅力が損なわれる事には繋がらず、将棋や囲碁等といったゲームそのものには 何ら影響など有り得ません。
最後に、日本将棋連盟が将棋ソフトとの対局を制限している行為についてですが、これは(私見ですが) 上記の事が理解できず単に人間対機械という図式だけが浮き彫りにされて、ソフトそのものの開発意図が脱線してしまう事を避けての対処であると思っています。
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今の時代、将棋は時代遅れなのではないでしょうか?
コンピュータの発達についていけていないのであれば、自然消滅するのも当然かと思います。
もし、コンピュータにプロが負けたらプロの存在意義はなくなるので(プロ以上の強さを持っていると「どうせコンピュータとやれば巻けるだろ」と思う人が大多数ではないでしょうか) プロの威厳どころか、将棋のプロはなくなると思われます。
アマでは、やる人も多数いると思いますが、プロとなるとスポンサーが付かなくなりますので・・
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プロの権威が落ちるのは仕方ないです。
それまでが、権威ありすぎだったのでしょう。
それまで、プロ以上の手を指摘する人がいなかったのですが、今ではソフトは終盤はプロ並みの手を指摘してきます。大ミスはほとんどしません。
そうなると、プロの解説などで「ふーん」と、ただ感心して聴いていたのが、ソフトの指摘する手と比較するようになります。
アマチュアからみれば、プロの解説がなくても、ソフトがあれば、擬似解説が楽しめます。こういう手はどうなのか、と確かめてみることもできます。ただみているより退屈しません。解説は、もしかしたらこっちのほうがよいかもしれません。
つまり、プロの仕事を、すでにソフトが奪っているというのが現実なんです。
そのあたりは、トッププロでなく、レッスンプロでも十分な仕事なんですが、急速にそういう仕事が必要なくなってきているように思います。
レッスンという面では、ネットで自分より強い人はいくらでも見つかりますから、道場や指導という仕事もなくなりつつありますね。
プロ棋士が今みたいに多くなくてもよい時代になったのだと思います。
将棋の主導権が連盟からコンピュータに移りつつあると表現してもいいかとと思います。
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話題が豊富に成ってよいですね。。。。。
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