将棋に潜む残虐性・暴力性・冷酷さ。
まずいいます。これは私の主観です。
私は、将棋に対し、はっきりこれらの感覚を感じ取ります。
将棋がそうなのか、将棋を指す人間がそうなのかという議論はあるでしょうが、
将棋というゲームの本質が、指す人間にそれを求めていると私は感じます。
ある棋士が言っていました。「将棋で強くなるには、冷酷さが絶対必要である」と。
将棋は単なるゲームではない。相手を傷つける力を持っている。
羽生善治氏がよく口にする言葉で「将棋はジャスト・ゲーム(単なるゲーム)」というものがあります。
それを強調すること、それは裏返せば「本質的に将棋はジャスト・ゲームでは収まりきらないものである」
ことを表しているのだと思います。逆に、本当に将棋が好きで、「ジャスト・ゲーム」だと感じる人がいるなら、
それは究極の冷酷さであると思います。
将棋?単なる暇つぶしです。趣味です。こういっていられる人って、幸せですよね。
いや、単に楽しめる世界も確かに存在する。「勝とうという気持ちを持たず、負けても一切悔しがらず、上達する野心も一切もたないこと」・・このような状態なら、将棋は平和な遊びであるといえるでしょう。しかし、なんと哀しいことではありませんか。
将棋が好きなら、将棋を追求していきたい。上達したい。これはいたって自然です。
しかし上達の先に、強さの先にまっていたものがそのような残虐性や冷酷さだと気がついたとき、とほうもない空しさが押し寄せてくるのではないでしょうか。
私の個人的な意見ですが、皆さんは、将棋に対してこういう感覚を抱いたことはありませんか?
※おそらく、仲間内だけでやる人、コンピュータ相手だけに指すひとなら、そんなことは感じないかもしれません。
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ありません。
まず冷酷さが必要なのと冷酷な人間になることは違うことです。
それはかなり低い年齢の人間に言えることで、大人であれば自分の
感情や性格をコントロールして冷酷さの強みだけを引き出せば良いのです。
これは将棋差しに限ったことではなく誰もが自然にしていることです。
良い外科医の条件の一つが冷酷であることだと聞いたことがありますが
あなたは患者を救うという大前提を見失って、その先に必要とされる
冷酷さだけに注目してしまっているのではないでしょうか。
将棋の大前提は?羽生さんの言葉を借りるなら「ジャスト・ゲーム」です。
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ワシは趣味で人間の性格が変わって来ると考えて居ます。
ですから良い趣味を持たねば成りません。それが判って居る人は将棋より囲碁を勧めるのです。
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>皆さんは、将棋に対してこういう感覚を抱いたことはありませんか?
ありません、以上。
文章が無駄に長いね、それに暗い。落ち込むのは勝手だが人を巻き込むなって感じ。
みんな感じてるからなかなか回答がつかないんじゃね?
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